統合失調症を超えるとき

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発症から病院に行くまでの経緯(その3)

発症から病院に行くまでの経緯(その3)

そんな状態で入社式を迎えた。

会社に入っても続いた。
いきなり、陰口の嵐。

同期、人事、先輩、役員・・・
いろんな人の陰口が聴こえていた。

しかし、表面上は普通に接してきた。

それがまたつらかったし、腹立たしかった。

毎日ランニングをしていたのと、
それなりに幻聴に対抗してきたこともあり、

気が強くなっていた。


こんな性格わるいやつら集めてどんな会社だよ!

人をいじめて使っている会社だ。

辞めよう!

おれには合わない。

3日行って、辞めた。


この3日行って辞めた、
というのがまた、そのあとの就職活動を大変にした。

とにかく受からない。
そのときにはもう街中で悪口を言われ始めていた。



面接会場へ向かうまで、

歩く人一人ひとりに

悪口を言われ続けた。

東京だったので、かなりの数ではあった。

「死ね」
「殺すぞ」
「かっこつけんな」
「調子のんなよ」

どんだけいじめられているんだ?
これはやばい。さすがに。

何かされている。

朝全力で走って、なんとか家を出る。

悪口!
悪口!
悪口!
悪口!

雨!

嵐!

街が苦労に見えた。

でも、
これを乗り越えたら、おれは大物になれる、
そんな気がしていた。




「いまだけだろ」
「どんだけおれのこと知ってんだ」
「暇だな」

そんな想いを抱きながら、
過ごしていた。

しかし、声がやむことはなかった。

また毎日の全力のランニングがたたったのか、
脚の靭帯を切ってしまっていた。

走れなくなったのが、またつらかった。

そんななか内定が決まりそうな会社が出てきた。
規模は小さいが、堅実経営の良い会社だと感じていた。

声はうるさく、そして怖く、とにかく大変だったが、

日本でいう社会人のスタートにやっと立てる、

そう思っていた。

すると、

自宅から連絡が入った。

「母が、末期がんだ。」

「帰省してくれ。」

とのことだった。

これはショックが隠し切れなかった。

「マジかよ・・・」

地元に帰省し、
あと余命が半年とのことだった。

「本人には伝えないように。」

とのことだった。


母はとくに変わりはなく、いつも通りだった。

「おれはほんとうに大馬鹿だな。」

そう思った。


就職活動は、
進んでいたその会社で内定をもらって、

看病のため、少し入社を遅らせてもらっていた。

だが、自分の方の病状は進んでいた。